一人一台端末時代の「板書」の在り方

執筆者: 沼田拓弥

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「立体型板書」や「書かない板書」など、板書に関する提案で話題を集める沼田拓弥先生(東京都・八王子市立第三小学校)と、沼田先生が代表を務める「立体型板書研究会」の連載を始めます。
一人一台端末が普及した現在において、「板書」の役割を根底から見つめ直し、デジタルとアナログの効果的な融合を目指した実践を紹介していきます。
初回は「板書は時代遅れなのか?」という疑問を軸に、板書の役割について沼田拓弥先生が考えていきます。
『スイミー』の板書を例に、動画も合わせて板書の意義に迫りましょう。

黒板とチョークを使った授業なんて、もう時代遅れだ。
みなさんは、このような声を耳にしたことがありますか? また、この言葉に対してどのように感じますか?

時代の流れと共に、教育の在り方も大きく変化している今。特にここ2〜3年は、コロナ禍の到来によって急速にオンライン教育が普及しました。 そして、GIGAスクール構想を柱とした「新しい教育」にどんどん光が当たり、教育活動の可能性が大きく広がっています。「これからの教育」と「これまでの教育」が比較されながら、教育の本質を見つめ直す大きなターニングポイントを迎えています。
時代遅れなアナログ教育。こう揶揄されがちな「これまでの教育」ですが、本当にその価値は失われてしまったのでしょうか。
アナログ教育の代表として、約150年もの間、日本の学校教育を支えてきたのが「板書」です。
みなさんもご存知のように、教室の前面に圧倒的存在感で設置されてきた黒板。デジタル教育の導入によって、代替される機能が出てきています。
例えば、以下のような部分が考えられます。

  • 意見の共有 …タブレット端末の共有アプリを使うことで全員の考えを同時に見ることができるようになった。
  • 教材(学習材)の提示…紙をペタペタと黒板に貼らなくても、データで一人ひとりに配信できるようになった。
  • 思考の整理、構造化…より複雑なものも提示できるようになった。

これらは、「学習活動の効率化」や「授業内の時間の使い方」といった観点から見ると、アナログツール活用の何倍もの学習効果と可能性の拡大につながっていると言えます。

当たり前のことですが、授業時間は有限です。当然、あれもこれも詰め込めば、容量オーバーであふれてしまいます。だからこそ、学習活動の効率化が必要ですし、限られた時間内で、より質が向上する学び方が求められています。そして、時間だけでなくその「学びの質」の担保が必要になります。もちろん、時間の削減と共に質が下がってしまっては本末転倒です。

つまり、今の時代において「板書」を何のために使うのか、という目的観が非常に大切になるということです。単なる学習ツールとして役立つ、役立たないという軽率な判断ではなく、その根底に流れている本質にまで目を向ける必要があります。これまで、当たり前のように教室に存在し続けた学習ツールだからこそ、今、改めてその意義を見つめ直す価値があると考えています。
そして、一人一台端末時代の「板書」の在り方を考えることは、我々教師一人ひとりの教育観、指導観、子ども観までも含めて広い視野で教育の本質を模索することに通ずるはずです。

さて、冒頭で示した「黒板とチョークを使った授業なんて、もう時代遅れだ」という声。この問題を考えるときに、容易に形式に囚われることのないようにしたいものです。

「タブレット端末を使わない授業=時代遅れ?」
「黒板とチョークを使った授業=時代遅れ?」

いや、決してそうではないでしょう。これは単に学習ツールを「使用する・使用しない」といった浅い視点です。しかし、教育現場では意外にも「今学期は必ず◯回以上、授業でタブレット端末を使用してください」とか「研究授業では、どこでタブレット端末を使うのか」といった声が聞こえてきます。これでは「手段の目的化」です。本来は、そこに生まれている「学びの質」にこそ光が当たるべきです。それがいつの間にか、「端末を使用したか否か」のみに光が当たるという悲しい現実が少なからず見られています。
確かに、黒板とチョークだけを使い、教師の話していることを書き並べる授業やタブレット端末を使えば5分で終わる作業に30分も40分もかけている非効率な姿が見られるようでは、さすがに「時代遅れ」と言われても仕方がないかもしれません。これは、それらの活動に伴う「思考のレベル」が浅いと言えるからです。
要するに、単なる学習ツールの置き換えというレベルではなく、それに伴う「学びの質」の転換が時代に合っているかを議論する必要があるのです。

では、このような「学びの質」の転換に板書はどこまで対応できるのでしょうか。板書を用いてどのような力を育むのかについて具体的に考えてみましょう。
まず、板書の基本的機能は整理すると以下の3点にまとめられます。

  • ① 可視化 …消えてしまう言葉を見える化する。
  • ② 記録 …学習の過程を残す。
  • ③ 整理 …子どもたちの言葉の関係性を捉える。

これら3つはいずれも、板書の際に一般的に用いられている機能です。まずは、この基本を丁寧に、そして着実に用いることが必要です。なぜなら、「可視化」「記録」「整理」の3点は、学習を充実させるための土台となる前提条件だからです。これらがクリアになることで「学びの質」はグッと高まります。
しかし、子どもたちの思考力や表現力を育む上で、より大切なことは、これら基本的な機能の先にある板書の機能をはたらかせることです。
板書の機能を子どもたちの意見の「見える化」に留めるのではなく、その先にある「気付き」や「発見」といった機能へ向かわせましょう。子どもたちが自分たちの言葉をつなぐ場として十分に活用できることで、板書は効果を発揮していると言えるのではないでしょうか。

この板書写真に示された情報を見て、あなたにはどのような「気付き」や「発見」がありますか。
これは「スイミー」(光村図書2年)の授業中盤の板書写真です。
例えば、この板書写真を見ることで、子どもたちは以下のような「気付き」や「発見」をします。

  • 1場面と5場面はプラスの場面
  • 場面の様子で同じような言葉が出てきている
  • 最初と最後の「なかま」は違う魚
  • 似ているけれど、5場面の方がマグロの事件を乗り越えているからもっとプラス

この授業は、最初に各場面のイメージを中心人物の様子や心情に着目して、シンプルにプラス(前向きな気持ちなど)かマイナス(悲しさなど)かで問いました∗。すると、1と5場面が同じプラスになりますが、「はたしてこのプラスは同じなのか」という点を子どもたちから引き出します。これを学習課題として授業を展開します。構造の確認から気付きを引き出し、内容へと迫る授業です。 授業後半では、それぞれの場面の様子を比較し、子どもたちの言葉のつながりや、2〜4場面の出来事とつなげることで5場面の方がよりプラスであることをまとめとしました。
もしここまでの子どもたちの発言をただ黒板の右から左へと「可視化」し、「記録」し、「整理」しただけでは、これらの「気付き」や「発見」は生まれにくかったと考えます。なぜなら、羅列型の板書では、情報と情報の「つながり」を子どもが自ら発見しにくいからです。
板書上では情報を構造化し、言葉に関係性をもたせたからこそ生まれる思考があります。教師がどこまで子どもたちの学びに介入するかという問題はありますが、上手にファシリテートしながら、板書をきっかけに深まりのある学びへと向かうことができれば、子どもたちは学ぶ楽しさに浸ることができます。

実際にどのような流れで、子どもたちの言葉を整理したのかは、ぜひ動画でご覧ください。

第2回、第3回では、私がこれまで提案してきた「立体型板書」「書かない板書」の具体例を通して、より詳しく、板書が引き出す子どもたちの力について考えていきましょう。

∗「マイナス・プラス読み」については、桂聖「文学の深い学びを支える国語授業のファシリテーション力—<マイナス・プラス読み>で物語文を読む—」『国語授業における「深い学び」を考える—授業者からの提案—』(2017年、東洋館出版社)にその詳細が示されています。

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