「読後感」から始まる学び

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「読後感」から始まる学び

文学作品の授業で、初発の感想を書かせることがある。しかし、子どもに書かせたのはいいものの、それを生かせているだろうか。これは、私自身の反省点でもあったのだが、次のような問題点があるだろう。

  • 全員の初発の感想を1時間で取り上げることが難しい。
  • 文章で書かせているために、感想のどの部分を取り上げるか吟味する時間がない。

「いかにして子どもと教材を出合わせるか」と考えたとき、初発の感想をもっとシンプルにできないか。そして、全員で共有できるものにしていけないか……。そういう思いから取り組んだのが「読後感を書く」という活動である。

読後感とは、その名の通り「読」んだ「後」の「感」想である。しかし、初発の感想と大きく違うところは、「一言で書く」という点にある。

読後感は次のような条件で書かせるようにしている。

  1. 一言で書く際、読後の自分の気持ちを表す言葉にする。
  2. 一言で書いた後、なぜそのように思ったのか、読後感の理由を文章で書く。

現担任学級の子どもが最初に書いた読後感は、4年生のときに学習した「ごんぎつね」(東京書籍)である。実際に、どのような読後感があったかを紹介する。

図1「ごんぎつね」の時に出された読後感

もちろん、読後感は子ども同士で重なるときもある。それでも、全員の読後感が何かを出させて板書していく。そうすることで「自分の考えを取り上げてもらうことができた」という気持ちを抱くことにつながり、それが学習に向かう意欲となる。

もっとも、読後感を書くことのよさは、「誰がどのように考えたのか」ということが可視化できるということである。例えば、「ごんぎつね」であれば、「ごんぎつねを読んでみて、その感想を一言で書くとしたらどんな一言にしますか」というように投げかけて書かれた読後感であるが、それはまだ子どもたちが感覚的に作品を読んでいる段階で生み出されたものである。そのため、個々の読後感にはズレがある。だからこそ、

「あの読後感はいったいどういう意味なのだろうか。」
「あの子と私は同じ読後感だけど、理由も同じなのかな。」

という思いをもつ。そこで、次のように子どもたちに問いかける。

このなかで、理由を聞いてみたい読後感はありますか。

そうすることで、読後感の理由から読後感同士のつながりが見えてくる。
例えば、「ごんぎつね」の授業で生まれた「かわいそう」や「かなしい」という読後感は、複数の子がもったものであった。そこで理由を聞いてみたい読後感はどれかを問いかけると、「美しい」という読後感について聞きたいという声があがった。この読後感をもった子どもは、「ごんのつぐなう姿を美しいと思ったから」という理由を述べた。それについて、「自分の悲しいという読後感も、ごんがつぐないを続けたのに撃たれてしまったから・・・・・・」という考えが続いた。「かわいそう」という読後感を出した子どもも、同様の理由であることを述べた。

しかし、まだ自分たちの読後感は感覚的なものであるから、言葉と言葉のつながりなどはまだ見えていない。だからこそ、「ごんのつぐないについて読んでいく」という必要感が子どもたちの中に生まれてくる。

「ごんのつぐないについて考えが出たけど、ごんは何回つぐないをしてるかな?」
「ごんのつぐないって1回ではないんだね」
「読後感の理由ともつながるけど、どうしてごんは何回もつぐないをしたんだろう?」

というように、ごんのつぐないに焦点化した読みを展開していくことにつなげていくことができる。

図2 読後感の理由を書いたノート

ここから学習がどのように展開されていったかというと、ごんのつぐないに焦点化されているので、それぞれのつぐないの場面において、「ごんの気持ちになって日記を書く」という言語活動を軸にして進めていった。読み取ったことをもとにして表現する活動である。
読後感を学びの切り口として、最終的にはごんの心情変化や、兵十の後悔などを読んでいったが、その中で新美南吉作品の多読にもつながった。単元最初の読後感交流で他者の考えに出合うことのよさを感じ取った子どもたちは、次の文学作品と出合ったときにも自主的に読後感を書いていた。こうした学びの姿は学級の財産となる。そして、読後感を系統的に扱っていこうという考えに至った。

5年生になってからの読後感を見ると、その読後感の理由から、作品のイメージをプラスやマイナスで捉えようとしていることが見えてくる。つまり、子どもたちは、これまでの学びから文学作品の結末をプラスやマイナスで捉えてきたことと結び付けているのである。

よって、感覚的に表していると思っていた読後感も、子どもたちなりの着眼点があるということが見えてくる。子どもたちは、読後感をどこから得ているかを見たときに、大まかに次のように分類できることが分かった。

  1. 中心人物の変容から
  2. 結末場面の描かれ方から
  3. 作中における表現技法

そこで、これらを生かして学習を展開するために、読後感の理由を交流した後で、「読後感から、学習を通して解決していきたい問いをつくる」ということも行った。「世界でいちばんやかましい音」(東京書籍5年)や「大造じいさんとがん」(全社5年)では板書のような読後感と問いが子どもから生まれた。

図3 5年生になってからの読後感1

図4 5年生になってからの読後感2

子どもたちが自ら問いをつくって学んでいくことは、一つの学びの姿として大切にしていきたいと考えている。また、現在6年生になった子どもたちは、読後感の言葉をかなり吟味するようになっている。

「この読後感は、これからこの話を読んでいくときにも大切になりそうだな」
「この読後感は、今まであまり無かった言葉だから使ってみたいな」
「この読後感は、前の学習のときに友だちが出して納得した言葉だな。使ってみよう」

こういった思いも子どもの中には働いているということが分かった。読みの成長と共に、読後感と理由をつなげて話す姿が変わってきたという印象を受けている。

単元の最後に、「学習を通してその作品から強く受け取ったことは何か」ということを考えることがある。それと最初の読後感を比較してみると面白い。最初の読後感と大きく違いが見られるときなどは、「自分の読みが変わったんだ」ということになるし、読後感との関連が見られるときは、「読後感が深まっていったんだな」ということになるだろう。

それを教師が価値付けていくことが大切である。「どうして読後感と大きく変わったのかな(変わらなかったのかな)?」ということを問いかけることで、子どもは自分の読みを客観的に判断しようとする。

また、「あのとき、○○さんが出した読後感の意味が、学習を通して分かった」という声も単元の最後になると聞こえるようになってくる。これらの姿は、学びの自覚化ということともつながりがあると考える。

弥延浩史(やのべ・ひろし)

筑波大学附属小学校教諭 

全国国語授業研究会理事/東京書籍小学校国語教科書編集委員

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