子どもとの距離の取り方
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かつて筑波大学附属小学校で同僚だったお二人(途中から田中先生は副校長)に、子どもたちとの接し方や授業づくりについて語っていただきました。第1回目は「子どもとの距離の取り方」です。若い先生方にとっても参考になるはずです(『子どものために教師ができること』からの抜粋です)。
田中:いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの盛山先生と対談できることになって光栄です(笑)
盛山:いやいや、私は緊張感がすごいです(笑)
先生が筑波小に在籍していたときは、算数部室でいつもご一緒していましたね。
田中:私が話をした後、冗談で「はい、(講義料)○○円!」なんて言ってたなあ(笑)
盛山:ええ(笑)
なので、この緊張感は今も変わりませんね。
田中:コロナ禍も一時期よりは落ち着いてきましたが、以前のように全国を回っているの?
田中 博史先生
盛山:そうですね。だいぶ戻ってきましたね。
それでもまだオンラインが多いですけど。
先生はどうですか?
田中:もう普通に全国を回っているよ。
盛山:そのときのテーマは算数ですか? それとももっと広い?
田中:私は大体算数授業と学級経営という二本柱でやっています。
第1部が算数で、第2部が学級経営みたいな感じ。
盛山先生たちがやっているのは、若い先生が多いよね?
どういったテーマが多いの?
盛山:多いのは、子どもへの対応でしょうか。
やはり、子どもにどう接すればいいかで悩まれている人がたくさんいるというのが実感です。
盛山 隆雄先生
田中:授業で? それとも学級経営?
盛山:どちらもです。
田中:学級経営で、例えば先生たちに「学級経営でどんなことに困っていますか」と言って話をするのは、なかなか難しいと思いますが、盛山先生はどうしているのですか。
盛山:私の場合は、実際の経験をもとに具体例を話していきます。
「こういう困ったことは自分が若い頃はこうだったけれど、先生はどうしますか?」といった感じで。
田中:これは結構大事なことですね。
というのも、自分の弱点をさらけ出せないと、みんな乗ってきてくれません。
だから、私も講演のときは、あえて自分の失敗談や弱みを話すようにしています。
私の学級通信の本でも、「一年目のハズレ教師、田中博史」と書くと、「先生にもそんな時代があったんですか」と思われる方もいる(笑)
盛山:絶対、そう思いますよね。
田中:実際、本当に言われていたからね。
盛山:そうなんですか?
田中:そうだよ。だって、田舎の山口から来たわけだから。
しかも他の三クラスの担任は有名人ばかり。
親からしたら、東京での受験指導の経験もない、田舎から来たばかりの先生が今度の担任かあ、とがっかりされましたから。
盛山:そういう自覚でやっていたんですか。
田中:自覚どころか、クラスの子どもが「ママがハズレだって」と言ってたのを聞いてましたから(笑)
盛山:そう言われたら燃えますよね。
田中:燃えるよ。まず隣の先生は倒せるなとか(笑)
あのクラスにはこの点で勝負しようとか。
でも、主任の田中力先生のクラスは無理だなとか(笑)
盛山:一番手ごわいですよね。
田中:当時の主任の先生は筑波小でも一番学級経営がうまいと言われていた先生だったから。
でも、いつか必ず抜いてやろうと燃えていましたね。
それで話を戻すと、最近の多くの先輩教師は成功談、つまりうまくいった話ばかりしかしませんよね。
そして、附属小の先生がいい話をしても、ほぼ共感されないと思うな。
「ああ、そうですか」と思われるだけ。
だから、あえて失敗談を話したり、スムーズにいかなかった事実を語る姿も見せたらいいね。
これは子どもに対しても同じかな。
それで盛山先生は、どういった具体例を話すのですか。
盛山:その時々でいろいろなエピソードを話します。
子どもが言うことを聞かないようなときの話とか。
例えば、一般に「頭がいい」と言われる子との接し方とかですね。
田中:クラスには、一人か二人、そういったタイプの子がいますね。
盛山:はい、頭はいいが故に、自分が正しいと思い、自分の考えを曲げません。
こういった子とどう接していくかが、私の課題です。
田中:人より速く頭が回るから、まわりの子のスピードに我慢できないんでしょうね。
盛山:そうですね。
田中:「おまえら、わかってないだろう」という感じなんだよね。
でも、そういった子は、教師が上からの立場で指導しようと思って接すると駄目ですね。
教師の目線が上からだとうまくいかないことも多い。
彼らにはもしかしたら対等に接してあげる方がいいのかもしれないと思うことがある。
私なんかは、あえて友達感覚で接していたこともある。
時には、お互いムキになってけんか腰になったりしたこともあったけど(笑)
盛山:対等に接するとは、対話するということであり、相手から学ぶということですね。
友達感覚という意味では、私もけんかのようになることも確かにありました(笑)
田中:クラスの一人の友達としてしゃべると効果的なことがあるんだけど、なぜだと思う?
盛山:本音を引き出せるということではないでしょうか。
田中:私はよく「ずっと指導者になっていたら駄目だよ」と言っています。
若い先生たちは「もう学生じゃないから、子どもとあなたは違うのよ。毅然としなさい」と言われることが多いと聞きますが、私はそうじゃないと思っています。
時には、そのクラスの中の一人と同じぐらいに、自分の立場を落とすことも必要かなと。
盛山:そのスタンスは、私も意識します。
基本的に弱い立場の子どもたちが主体的に自分らしく振る舞えるようになるには、こちらから歩み寄ることが必要だと思います。
そして、子どもたちが本音で語れるようにすることです。
田中:私は友達として接するだけでなく、まわりを巻き込む。
つまり、先生対子どもでは駄目なんだと思う。
なぜかというと、いずれ私たち指導者は子どものそばからいなくなるから。
子どもたちの空間の中に指導者はいなくなる。
上からの立場で抑えても、いないときはまた彼らは傍若無人に戻る。
(中略)
だから、先生がそばにいるときにまわりの子たちに、その子との付き合い方を教えなければいけないのです。
暴れる子は、注意するのは先生をはじめとした大人しかいないと思っています。
だから、大人がいなくなれば、また暴れます。
そうならないようにするためには、私が子どものところに下りて、「僕は今のは、ちょっとどうかと思うけど、君はそう思わないの?」と言えばいい。
判断するところについては指導しません。
たぶん子どもたちだけになったら、こういう言い合いになるだろうと思って言うわけです。
授業のときでもそうしますよね。
盛山:しますね。それこそ、全体で共有するようなことを言うと、本人もわかっているから「先生、もういいです」と。
そういうふうに自分で引き下がっていきます。
田中:もちろん、その子どもの特性があるから、追い込むとまずいタイプの子もいる。
逆に一度は追い込ませておかないといけないタイプの子もいる。
つまり、先生だけではなく、このクラスには他にも自分のそういう乱暴なことに対して、意見を言ってくる人がいると思わせないといけないのかなと。
盛山:おっしゃるとおりです。
ただ、若い先生方からすると、どうしても自分が指導に入ってしまうでしょうね。
他の子どもたちに振るのは大変かもしれません。
田中:大変だよ。
だって、大人でも職員会議で誰か一人が反論したときに、他の先生がついてこないことがあるでしょう。
これと同じことが起きているわけですから。
そう思うと、先生一人が頑張っても仕方がない。
つまり、頑張って指導しても、そのときが収まるだけで、先生がいなくなれば、またその子は元に戻るということです。
だから、大人が抑えるという治療法は、要するに対症療法でしかありません。
学級崩壊しているクラスに、教頭先生とかが入って収めたりしますよね。
あれも実はあまり意味がありません。
これらの指導に共通する点は、すべて対症療法で解決しようとしているということ。
やはりその集団そのものに力をつけなければ駄目だと思うのです。
盛山:そうですね、その集団を育てることが大切ですね。
真面目な子という言い方はしませんが、こういうきちんと話せる子たちが主流にならなければ駄目だよということは、常々価値観を伝えておかないと、なかなか勇気をもって手を挙げてくれません。
田中:でも、これが難しい。
私もそれで失敗したことが何度もあります。
クラスの女の子たちの人間関係が気になって、ある子に「何かあったら、教えてほしい」とお願いしたことがあったのです。
でも、その子からは「先生は、子どもの世界に入りすぎ!」って怒られました。
盛山:入りすぎというのは?
田中:「私たちのことは放っておいて」と。
女の子の人間関係に大人が入ってくるのが嫌だったんだよ。
だから、そうやって子どもの近くへ行ったり離れたりは、私も手探りでしたね。
どちらにせよ、私や盛山先生の話を聞いて、それを真に受けてそのままやっては駄目ですね(笑)
大切なのは、その子どもが置かれている現状と前後の文脈も知っていないといけないということですね。