中学校教諭として学校の目指す姿やあるあるを漫画にしてTwitterで発信されているえぴれふ先生が、立場の違いを「天日干し」して、よりよい学校づくりを考えます!
今回のテーマは「教師の“見る”」について。
昼休みにただ校庭で子どもが遊んでいるのを見ているベテラン教師とのやり取りを例に、子どもの成長と向き合う教師の本質について考えます。
「コレだけは無くしちゃいけない」仕事はありますか?
我々学校の教師に限らず、「業務の精選を!」と、働き方改革に向けて「なくすべき仕事」をなくしていくことがよりよい仕事をするための第一歩と言われます。
もちろん学校業界には、省略すべき「ムダ」が山積しているでしょう。
しかし、「自分たちの労働環境を見直そう!」という意識が強いあまり、「これは無くしてはいけない」という本質をうっかり切り落としてしまっては本末転倒です。
今回のお手紙にあった、「クラスが落ち着かない(から見にきてほしい)」は、そのどちらなのか…判断は難しいかもしれません。
「みる」という言葉にはいくつかの漢字が当てられます。
「見る」「観る」「看る」「診る」「覧る」などなど…。
生徒を見て、状態を認識したり、変化に気付いたり、もしくは「見る」ことそのものが注意や叱ることの代わりになることさえあります。この「見る」ことは、子どもたちを育てる「教師」の本質でなくてなんでしょうか。
「トラブルもないし、こんなことやっても誰も褒めない」という理由で「切り捨てる」選択をすべきではない仕事が、きっとあると思います。
忙しい教師業務の中ですから、起きた問題に対処することばかりになるのも無理はありません…(言ってて自分も耳が痛い…)
が、褒められなくても、感謝されなくても「コレだけは無くしちゃいけない」というものを見失わない仕事がしたいと常々思います。
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学校に関わる人々の困り事が何なのか、どんな支援が有効なのか。
これからも「てんぴぼし」ではこうしたわだかまりを共有し、よりよい学校づくりの議論のきっかけを提案していきたいなと思います!
コメントをお寄せいただけましたら嬉しいです。
(前回に引き続き、「こんなモヤモヤがあるから干してほしい!!」というリクエストもお待ちしておりますっ)