第3回 「探検」を呼びかける、不思議な校舎|複雑化の教育論

第3回 「探検」を呼びかける、不思議な校舎|複雑化の教育論 - 東洋館出版社

「ミステリー」に満ちた校舎

「学びを支援する環境づくり」という点において、ヴォーリズの天才性は際立っていました。ヴォーリズの建物は「ミステリー」に満ちているからです。「探検」を誘いかけて来る。

僕はヴォーリズの作った図書館本館という建物に最初の研究室をもらいました。中で暮らすようになって、「どうしてこんなに子ども心をわくわくさせるような建物を造るんだろう」と感心しました。ほんとに面白いんです。例えば、すべての建物で、一階と二階の間取りが違う。ふつう「水場」ってまとめますよね。一階にトイレがあったら、二階でも同じところにトイレを作る。でも、ヴォーリズは違う。同じところにはトイレがないんです。教室も一つ一つ全部大きさが違う。研究室も全部間取りが違う。四角い部屋もあるし、長方形の部屋もあるし、L字形の部屋もある。だから、研究室にどれだけの種類があるのかは、全部の研究室のドアをノックしてみないとわからない。

中庭をはさんで文学館と理学館という二つの建物が向き合っています。建物の高さは同じです。でも、文学館は二階建てなのに、理学館は三階建てなんです。外から見ただけでは分からない。理学館では、二階の廊下の途中に細い階段があって、それを上がると「隠し三階」がある。そこにもいくつか部屋がある。中庭から見えない側には「隠し屋上」まである。そこから甲山が一望できる。理学館を使う先生たちはそこで「流しそうめん」やったり、バーベキューやったりしてたんですよね。理学館に足を踏み入れたことのない教師や学生はそんなことを全然知らなかった。

いったいこの建物はどうなっているのか、それを知ろうとしたら、自分の足で歩いて、探検するしかない。不思議な階段があったら、自分で上がる。不思議なドアがあったら、自分でドアノブを開ける。これは「学び」の比喩としては卓越したものだと思います。

「扉」や「窓」から見える風景

僕がどうして「隠し三階」の存在に気がついたかというと、一九九五年の阪神・淡路大震災の後に、研究室の片付けを手伝うために、全館の全研究室を回ったからです。地震で本棚が倒れたり、実験器具が床に落ちたりして、扉が開かない部屋とかがいくつもあって、チームを組んで、そういう部屋のレスキュー活動を何週間かかけてやりました。おかげでふつうなら足を踏み入れることのない場所も踏破しました。そんなことでもなければ、定年まで勤めても、ヴォーリズの建物の中を全部見るというような機会はなかったと思います。

驚いたことに、教室も、研究室も、同じ間取りの部屋が一つとしてなかった。台所が付いてる研究室があったり、シャワー付きの研究室があったり。部分を見ただけで全体が分かった気になってはいけないということを校舎そのものが教えていました。

もっと感心したのは、建築家の挑発に応じて全館踏破の「探検」に出た学生たちには「ご褒美」が用意されていることです。どこに通じるか分からない部屋のドアのノブを回したり、どこに行くかわからない階段を上った学生がその先で出会うのは、「扉」か「窓」なんです。「探検」したら、「行き止まり」だったということはまずない。「扉」は「思いがけないところへ抜け出る扉」であり、「窓」は「ふだん見慣れた光景を、まったく別の角度から見下ろす窓」です。僕はそれに気がついた時に、ヴォーリズは天才だと思いました。だって、「思いがけないところへ抜け出る」こと、「ふだん見慣れた風景を別の視座から見ること」って、学問的な知性の使い方そのものじゃないですか。

なぜ、校舎に「隠し部屋」があるのか

ヴォーリズには「校舎が人を育てる」という信念がありました。だから、僕の在職中は、ヴォーリズの建物では基本的に扉に施錠がされていなかった。いまだったら防犯防災という理由で、とくに学生が用がなさそうな扉には施錠してしまうと思います。学生が入ったからといって特に困ることがあるわけじゃないんだけども、「こんなところに学生は来る用事がない」と思うと施錠してしまう。でも、ヴォーリズの建物は扉に施錠してない。個人の研究室は別として、公共的なところは、どんなドアでも全部ノブを回すと開いた。

ヴォーリズの建物には「隠し部屋」とか「隠し階段」とかあって面白いぞということを学生たちにはよく話していたんです。伝え聞いて、学内探検をする学生たちが増えてきた。ある時、学生新聞の取材が来て、「先生が一番好きなスポットはどこですか? 三つ教えてください」って訊かれた。それで学生たちを案内しました。

一つ目は、図書館本館三階のギャラリー。図書館の閲覧室は二階にあるんですけれど、扉を押し開けて、階段を一つ上がるとギャラリーがある。ふつうの学生はなかなかそこに三階があることに気がつきません。図書館は基本的に発語禁止ですから、ギャラリーもしんとしている。広くて、明るくて、静かな空間が学生たちに「好きに使っていいですよ」と言って差し出されている。南側の窓からは西宮の市内が一望できます。学生たちは思い思いに寝椅子に寝転んで本を読んだり、物思いにふけったりしている。建築家からのすてきな贈り物ですよね。

二つ目はさっき言った理学館の「隠し屋上」。ここから見える西の展山並みの景観は大学の中から見える一番きれいな風景の一つです。

三つ目が総務館の「隠しトイレ」。これもふつうの人は知りません。僕は役職者だったので、時々理事室で会議をすることがあり、その時に階段を降りてトイレに行こうとしたら、誰かに「先生、トイレならこの奥にもありますよ」って教えてもらいました。たしかに、理事室を出て、暗く細い廊下を抜けると、北の奥にトイレがありました。グラウンドを見下ろす大きな窓が開いていた。トイレって、あまり大きな窓をつけませんけれど、そこは二階の端で、下から見上げてもわからない。ここが学内で最も景色のいいトイレでした。でも、この素敵なトイレを見つけ出すために、学生は理事室には入れませんから、別のルートを探検しなければならない。一つだけルートがあります。講堂の舞台袖から舞台裏の暗がりに入り込んで、らせん階段を上るルートです。ふつうの学生は講堂の舞台袖に入ることだってほとんどありません。クラブ紹介とか、学園祭の時に舞台に出る機会があれば、その時には舞台袖を通りますが、せいぜいそれくらいです。その時でも、わざわざ舞台裏を覗き込んで、そこにらせん階段をみつけて、ちょっと登ってみようと思う学生はまずいません。でも、百人に一人くらい、好奇心に駆られて階段を上る学生がいる。そして、その子たちだけに、階段をのぼった廊下の奥に「学内で一番景色のよいトイレ」があることを知るチャンスがある。

ですから、女学院に入学したけれど、ヴォーリズからの贈り物を受け取るチャンスに恵まれた学生と、そうではない学生がいることになります。好奇心にかられてドアノブを回したり、暗がりを覗き込んだり、どこに通じるかわからない階段を上ってみたりした学生には「ご褒美」がある。これこそヴォーリズのいう「校舎が人を作る」ということだと思うんです。

(本記事の小見出しは、編集者が追記しました。)

教育を支える出版社として

1948年の創業以来、教育書の専門出版社として、主に学校教育に関わる出版活動を続けて参りました。学術書から実用書まで、教育書という分野において確かな地盤と実績を築いてきたという自負があります。
一方で、社会の大きな変化と、それに合わせた学校教育を含む教育情勢の変化も感じて参りました。創業前年の1947年には最初の学習指導要領が作成されました。当時はまだ「試案」という形で、戦争を省みる言葉とともに、子どもの興味や関心を大切にする児童中心主義の教育観が打ち出されました。
それから約70年が経ち、変わらない本質的な部分は現代に引き継がれつつも、全国の小中学校の9割以上に一人一台端末が配備され、授業風景が大きく変わろうとしています。学校から目を転じてみると、生産年齢人口の減少や科学技術の革新、地球規模での気候変動といった今まで人類が経験したことのない局面に直面しています。そのような変化の時代において、未来を生きる子どもたちのために、教育を支えるすべての人のために、何かまだできることがあるのではないだろうか――そのような思いから、本シリーズを新たに2022年より刊行いたします。