【第3回】どう読む?どう生かす?PISA2022レポート 〜見過ごせない2つのポイントと「けテぶれ」の提案〜

執筆者: 葛原祥太

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2023年12月5日、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2022の分析結果が公開されました。日本が世界トップ水準の学力を維持していることが評価された一方で、現場レベルでは「授業をしている手応えと違って実感できない」という声も聞かれました。

そこで、分析結果を「現場の目線で読んでみよう」と考え、本連載を企画し、4回にわたりお送りします。第3回は葛原祥太先生に見過ごせない2つのポイントと、その課題を解決するための「けテぶれ」を提案していただきます。

葛原 祥太先生

兵庫県の公立小学校教員。1987年、大阪府生まれ。同志社大学を卒業後、兵庫教育大学大学院を修了し、現職に就く。2019年に刊行した『「けテぶれ」宿題革命!』(学陽書房)は、発売後即重版。教師向け教育書としては異例の2万部を売り上げ、今なお重版がかかり続けている。2020年には朝の情報番組「ノンストップ!」で取り上げられ、話題になる。

日本の成績がすべての分野で平均得点や順位が上昇し、世界トップレベルに達したことは、先生方や、厳しいコロナ対策の中でも学びを続けた子どもたちの努力の賜物であると言えます。詳細に見ると、他国が成績を落とす中で、日本は高い水準を維持していることがわかります。日本の子どもたちは、年を追うごとの変化や環境の変化に関わらず、一貫して高い成果を出しており、その本質的な学力の高さが伺えます。

日本の子どもたちの学力の高さはほぼ証明されたと言えるでしょう。しかし、この結果を受けて、私たちは何を考えるべきかという問いが残ります。単に「日本の先生方は素晴らしい」と称賛するだけでよいのでしょうか。この点については、2つの観点から「それだけでは不十分な現実」を認識することが重要です。

まず一つ目のポイントを導くために、この結果を生み出している教育界の現状を見てみましょう。そこには、決して「日本の教育は絶好調である」とは言えない現実があります。

不登校の児童数や教員の病気休業の数は、過去最多を記録しています。


さらに、経年のグラフを見ると、その数の増加は加速していることがわかります。

「学校がしんどい」と感じている先生方や子どもたちの数もどんどん増えているのです。現場の最前線で戦う立場として、これらの数字を見ても違和感はありません。現場の多忙感や学級経営の難しさは年々増しています。日本の教育について議論する際には、この現実から目を背けることはできません。


2つ目のポイントは、調査の結果でも注目されていた「自律学習への自信」に関する指標の低さです。学力面では最高水準に近い結果が出ているものの、調査の一環で行われたアンケートでは、再び休校した場合の学習についての自信の有無を質問しました。自力で学校の勉強をこなすことについて、生徒たちに「とても自信がある」「自信がある」「あまり自信がない」「全然自信がない」のいずれかを選んでもらったところ、日本の生徒で「とても自信がある」または「自信がある」と答えた割合は41.6%にとどまりました。これはOECD平均の71.5%を大きく下回り、加盟37カ国中集計可能な34カ国で最下位でした。


以上の2点を踏まえて今回の結果を見直すと、今回の好成績の裏には、過酷な労働環境の中で身を粉にして働く先生たちの姿、自分の色を出せずに教師の示す正解に押しつぶされそうになっている子どもたち、または、先生の引いたレールの上でただ勉強させられるばかりで「自ら学びに向かう力」がまったくない、頼りない学習者としての子どもたちの姿が見えてきます。これらの現実を踏まえ、私たちは今後の教育方針や教育環境の改善について、深く考える必要があるでしょう。

さてこの2つの観点を同時に解決するアイデアとして私は、「けテぶれ」を提案したい(けテぶれとは、学び方の基本を「計画、テスト、分析、練習」のサイクルであるとし、そのサイクルをうまく回せるようになる練習を重ねることで、自律した学習者へと近づくための教育実践)。


PISAの調査は毎回、日本の子どもたちの学力の高さを証明し続けている。目の前に、学力が高く一生懸命学ぶ子がいたとき、指導者としてすべきことはなんでしょうか。「引き続き、先生の言うことただお利口に聞いておきましょう」ということが、その子の学びにとってもっとも必要な支援でしょうか。「先生に教えてもらってできる」ことが証明され続けている中、子どもたちはいつ「自分で学ぶ」というチャレンジをさせてもらえるのでしょう。今回の「自律学習への自信のなさ」という結果は、そのチャレンジをさせてもらえていない現実が見えてくるように思います。


自転車の練習でも英会話のレッスンでも、何かができるようになるプロセスとはいつでも「先生に教えてもらってできる」が確認されたのなら、「自分でできる」のフェーズに徐々に移行していくはずです。先日、私のクラスでは新年の書き初めを行いましたが、その際、ある子どもが「おうちでおばあちゃんと一緒にやっていたときはうまく書けたのに、今、一人で書こうとするとできない~」とつぶやいていました。学び手としてはやはりここに大きなチャレンジがあるのです。そして“学び手としての自律”を目指すなら確実にこのチャレンジは避けては通れないはずです。もうそろそろ、ほんとうにもうそろそろ、次のステージに移ってもいい頃ではないでしょうか。

そもそも、現行の学習指導要領でも「主体的に学びに向かう態度」を評価しなければならないことになっています。指導と評価は一体。評価するなら、指導もまたしなければなりません。指導をするためには「学ぶとはどういうことか」という方法的な知識と、その知識を使いこなせるようになるための練習の機会が必要不可欠です。今後の日本の教育はこの点において思考と試行を重ねていくのがよいのではないかと思います。私はこの「主体的に学びに向かう」ということを指導する。その一つのアイデアとして「けテぶれ」を提案しているというわけです。

さらに私は、学校生活における子どもたちの「幸せ」を守る、という意味合いにおいても、「けテぶれ」を提案したいと思っています。自己決定感が幸福度に影響することは多くの研究から明らかにされています。しかし今の学校において、子どもたち一人ひとりの自己決定が大切にされるシーンはあまり多くありません。私には、これが遠因となって、さまざまな学校の「しんどさ」につながっているように思えてなりません。

しかし一方で、何でもかんでも任せればよいというわけでもありませんよね。自分で考えて自分で選んだからには、その結果もまた自分で受け取り、再チャレンジへとつなげていくということを豊かに促していかなければなりません。それが大きな自由を受け取るための練習であり、また、自分の幸せを自分で実現していくための練習にもなると思うのです。そしてそもそも、そういった「自分の選択」が尊重される場というのは、多くの子ども(そして大人にとっても)心地のよい場所になるはずです。

今回のコラムを通して考察した日本の教育システムの現状と将来に向けた提案は、重要な転換点に立っていることを示しています。私たちは、高い学力水準を維持しながらも、教育の質的な側面に目を向け、子どもたちが主体的に学び、自己決定の感覚を育てることの重要性を再認識する必要があります。私の提案する「けテぶれ」は、この方向への一歩であり、子どもたちが自ら学び、考え、行動する力を身につけるための実践的な手段です。

教育はただ知識を詰め込むだけではなく、子どもたちが自分自身の学びの主体となり、そのプロセスを楽しむことも重要です。これは、学校だけでなく、家庭や地域社会全体で支え、育むべき文化です。子どもたちの自信と自律性を育てることは、彼らが未来の社会で活躍し、幸せを感じるための基盤を築くことに他なりません。

最終的に、教育の目的は、単に知識やスキルを伝えることではなく、子どもたち一人ひとりが自分自身の可能性を最大限に引き出し、社会の中で自分の役割を見つけ、充実した人生を送ることをサポートすることです。この目的を達成するためには、私たちは教育システムを見直し、より柔軟で、創造的で、子どもたちのニーズに応える方法を模索し続ける必要があります。そして、それが日本の教育が次の時代に向けて進むべき道であると信じています。

次回は、樋口綾香先生に、国語という系統的な見方からPISAの結果を分析していただきます。

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