特集 ちえをもちよる vol.1 「非日常」に晒された子どもたちの心理とポスト・コロナ時代の教師のあり方

執筆者: 川上康則

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令和6年能登半島地震により、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。被災した地域の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。


文部科学省が2024年1月24日正午時点でまとめた「令和6年能登半島地震による被害情報(第22報)」によると、石川県で再開未定の公立学校が10校2分校、避難所となっている学校は47校。被災地域の子どもたちの安全の確保や学習の継続のため、日々、様々な対応が進められています(文部科学省「令和6年能登半島地震について」)。

小社では今後も出版物等のメディアを通して、教育現場に対して有意義な情報提供ができるように取り組んでいく所存です。

その一環として、これまでに「緊急事態下での教育現場」をテーマに製作した書籍の論考をピックアップし、順次無料公開をしてまいります。また、非常事態の環境下で子どもに接する際に大切にしておきたい視点、今後の備えとしての防災教育に関する情報などについて新規記事の掲載も行っていく予定です。

教育に携わる皆さまが、今できることを考えたり、不測の事態に備えたりする際の一助になればと思います。


第1回は、『ポスト・コロナショックの学校で教師が考えておきたいこと』(2020年刊行)所収の論考です。大規模災害や感染症などによって「非日常」に晒されたとき、人は「今後、さらによくない事態が起きるのではないか」といった「予期不安」の状態に陥ることがあります。そのような際、不安や怖さを受けとめながらも教育の火を絶やさないために、教師が考えておきたいこととは、どのようなことなのでしょうか。特別支援教育学校で教員を務める川上康則さんが、知恵を持ち寄ります。

学校の「これまで」を一変させた新型コロナウイルス。長く続いた臨時休校の期間は、読者の皆さんにとって「空白」でしたか? それとも「余白」でしたか?

「空白」は、あるべきものがない状態を意味します。「空白を埋める」という言い方があるように、マイナスを埋めるために早く元の形に戻したくります。本来あるべきものがないと人は不安になるものです。

2020年2月27日の首相の会見を受け、学校のあらゆる教育活動がストップしました。このような事態は、学校現場にとって前代未聞でした。それまで学校というのは、子どもが「来るべきところ」「来るのが当たり前の場」とされてきましたから。そこに突然ポッカリと「空白」が生まれたのです。

学校というところは、子どもたちにとっても教師にとっても、緊張感の高い場です。少しでも空白ができようものなら、空白を埋めようと、まるで細胞の「浸透圧」のように新たな行事や業務や会議が入ります。スクラップされることもなく、ひたすらビルドにビルドを積み重ねて、どんどん膨れ上がり、ようやく「働き方改革」というメスが入り始めた矢先でした。

「空白」に似た言葉に「余白」があります。「空白」はマイナス面が強調されますが、「余白」は活力の源として、人生や組織において意識的に取り入れたいものになります。今までの学校には、この「余白」がほとんどありませんでした。不登校や学級崩壊も、余白の少なさに端を発していたことは否定できません。不謹慎な言い方かもしれませんが、もしかしたら、コロナウイルスは、ギチギチに詰め込まれていた学校に風穴をあけ、ある意味では歴史上初めて学校に「余白」をもたらそうとするものだったのかもしれません。

コロナショックは大きなインパクトをもたらしましたが、それでも「余白」と捉えてもらえた期間はあっという間に過ぎていきました。やがて授業時数の確保が厳しく求められることへの懸念のほうが強くなり、次第に「空白」と捉えられるようになっていきました。

休校の長期化にともない、今度は子どもたちへの学習課題や遠隔授業が模索され始めました。登校日を設定して家庭学習用のプリント課題の配布、動画の配信、ビデオ会議システムを活用した遠隔授業などが始まりました。こうして学校は今もなお「空白」を埋める作業をくり返しています。

「空白」を埋めたくなるのは、人の本能なのかもしれません。人は、目の前にわけのわからないものや手の施しようのない状態が放置されていると、不快で落ち着けなくなるものです。そこで、有史以来、様々な社会的事象や自然現象、病気や心理的側面などに意味づけをして理解してきました。「わかる」ことが困難状況を打開したり回避したりするのに有効だと信じてきたのです。学校教育の場で語られる資質・能力の大半は「問題解決」を目指すものであり、日々の授業でも、常に子どもたちの「わかる」「できる」を掲げてきました。しかし、今回の新型コロナウイルスは、いまだに「見えない、わからないこと」だらけです。わからないままだと不安がさらに大きくなるので、どうしても空白を埋めたくなります。過去の感染症のパンデミックの歴史を見れば、元の学校の姿に戻れるまでに数年以上(長ければ数十年)かかるのは自明なのにもかかわらず、いち早く元に戻したいと考えたくなってしまうのはなぜなのでしょうか。

それは、「わからないままの状態を受け入れる能力」の育成の大切さに気付けていなかったからです。あらためて学校教育を振り返ってみると、今回のような空白の事態に直面したまま長期間耐える能力など、話題に上ることすらありませんでした。帚木(2017)は、こうした「答えの出ない、どうにも対処のしようのない事態に耐える能力」ないしは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」をネガティブ・ケイパビリティと呼び、これからの人類に欠いてはならない能力だと看破していました。ポスト・コロナの時代には、新たな能力として注目されるかもしれません。

前述のとおり、人は「空白に耐える能力」がそれほど高くありません。むしろ、今回のコロナショックでそれが露呈したとも言えるのではないでしょうか。

人は、不安が大きくなると、あらゆることに過敏な反応を示すものです。たとえば、周囲の人との距離や咳払い一つにも敏感になります。自粛を求められている中で外出する人々のふるまいに「けしからん」という気持ちを抱いてしまうのも、その現れでしょう。

心がザワザワして落ち着かなくなり、「今後、さらによくない事態が起きるのではないか」とか「自分がその状態に陥るのではないか」と不安感を覚える症状を「予期不安」といいます。予期不安は、逃げ場のない場所、先の見通せない場面で起きます。コロナ禍は、まさに全世界を「予期不安」状態に巻き込んでいます。

不安に支配される生活が続くと、「早く不安を解消したい」という気持ちになります。誰もが、一刻も早く安心できる生活を求めます。そのため、不安がなかなか解消されないままの状況が長く続くと、心の中の「かくあるべし」論が強くなっていきます。「かくあるべし」論は、2020年3月中旬以降、社会全体で一気に強くなりました。「自粛要請ではなく禁止に()べき(・・)だ」「一刻も早く緊急事態宣言を決断()べき(・・)だ」などの世論が強まりました。ところが、「かくあるべし」と想定していることがなかなか実現しなかったため、今度は落胆や怒りが込み上げました。

戸惑いや不安に、怒りや憤りが加わっていく大人たちの姿を目の前にしながら、子どもたちがどれだけストレスフルな状況に追い込まれていくか、あらためて整理していきたいと思います。

学校というコミュニティを失い、報道や家族との会話のほとんどがコロナウイルスの話題で埋め尽くされる毎日を送ることになった子どもたち。家庭によっては、深刻な経済状況に陥り、危機感を強く感じているケースも出てきています。

当初、学校関係者の多くは「非日常」に晒されたときに子どもたちが示す「無意識の防衛反応」についてほとんど理解できていませんでした。そのためか、臨時休校中の電話での健康確認においても、分散登校が実現できていた学校においても、検温や風邪症状の有無の把握くらいしかできていませんでした。

しかし、大規模災害や感染症などによって「非日常」が長く続くと、子どもたちの生活には様々な変化がもたらされます。まず、休校が長期に及ぶことで、規則正しい生活リズムを失いやすくなります。また、集団生活の欠如にともない、仲間との間で培われるはずの自信や葛藤や達成感などの心の成長場面も失います。喪失が大きい環境に晒されると、子どもたちは次のようなストレス反応を示すようになります。


⚫︎ 身体面の症状
□頭が痛い □お腹が痛い □眠れない


⚫︎ 行動面の変化
□落ち着きがない □食欲が増える/減る
□よく泣く □いつもよりよくしゃべる
□しがみついて離れない □言動が幼くなる
□わがままになる □ちょっとしたことで怒る
□暴力的になる  □夜尿が増える
□遊びの中で今起きていることを再現したがる
(国立成育医療研究センター、2020を参考に)

行動面の変化に着目すると、子どもたちが「退行(年齢を下げるような反応)」という症状でなんとか気持ちを保とうとする様子がうかがえます。そのことに気付けない家庭では、DVや虐待の危険も高まります。

2020年4月中旬、筆者は自身のフェイスブック上で、「家庭で可能なストレス・コーピング」の必要性を訴えました。コーピングは、問題に対処するという意味の「cope」に由来するメンタルヘルスの用語です。呼びかけに応えるかのように、いくつかの学校がホームページや動画などを通して、くり返し情報を発信してくれました。その内容は次のとおりです。


⑴正しい情報を家族で共有しよう

  • その子の年代や理解力をふまえた言葉で
  • うわさやデマに惑わされないように

⑵これまでの「日常」を維持しよう

  • 規則正しい睡眠、食事

⑶心にふたをせずに、どんなことでも話そう

  • どんな気持ちでも伝えてよいと話し、子どもなりに整理しようとしていることを受けとめる

⑷一緒に家事を分担して、家族の役に立とう

  • せっかくの機会なのでお手伝いの幅を広げる

⑸ 子どもの行動が完璧ではなかったとしても「ありがとう」と感謝を伝えよう

  • 役割意識を高め、自己肯定感につなげる

⑹身体を動かそう

  •  室内でできる運動のサイトや動画を見てまねすることから

⑺手を動かす創造的な遊びをしよう

  • 「ゲームどっぷり生活」に陥らない楽しみを見つける

自粛生活の中で最も大切なことは、「子どもの自己肯定感を下げない」ということです。役割意識をもってもらい「必要とされている」という実感をもたらすこと、そして「ありがとう」と感謝される体験を増やすことを普段以上に意識する必要があります。

家族間でのストレス・コーピングは、ゲーム依存やネット依存に陥るのを防止することにもつながります。大人も、このコロナショックによって「宅飲み」が増え、アルコール依存の危険度が増したように、子どものゲーム依存、ネット依存は深刻度を増します。

ゲームやネットは、体内に危険な物質が入るわけではないせいか、どうしても低年齢から許されてしまうところがあります。特に、長期の自粛生活で家族も「外出できずかわいそう」という気持ちになり、ついつい長時間の使用を認めてしまいがちです。しかし、自分の行動をコントロールする前頭前野が未発達な段階であるがゆえに、依存状態が急激に進行してしまうという性質をもっています。

ゲームは「褒めてくれるのが上手な装置」です。ライフが増えたり、自己最高得点を更新していったりします。スモールステップでクリアしていくことで、自分が成長していくような感覚を得てしまうのです。また、ネットの世界ではいとも簡単に「自分の居場所」ができます。褒められたい、必要とされたいという気持ちが強い子どもほど、ゲーム依存、ネット依存が進む傾向があります。学校が再開してからも、このゲーム依存、ネット依存の状況に陥った子どもたちが、学校生活の中で、教室を「安全基地」と認識し、教師や友達との関係の中で自己肯定感を高められるかが大きな課題として残るであろうことは想像に難くありません。

これからしばらくの間、教室は緊迫した状況が続くでしょう。本来、子どもはお互いにふれあいながら成長するものですが、それを制止するようなことを強いなければなりません。窮屈なルールを課す一方で、従えない子どもや対人的な距離感を保つのにつまずきがある子どもを強く叱責する場面が増えるでしょう。

しかし、懲罰や威圧や叱責では、人の行動はコントロールできません。むしろ、これらの指導がこれまでまかり通っていたのなら、それは教室で行われる「マルトリートメント(不適切な関わり)」として徹底的に排除していく方向へと舵を取るきっかけにすべきだと思います。人を動かすのは「信頼関係(ラポール)」です。きっと教師が「安全基地」としての役割を果たせるかどうか、子どもたちも保護者も強く確認してくるはずです。今の状況をなんとかもちこたえていくことは、今だからこそ学べる大切な能力だと伝え続けていきましょう。

ポスト・コロナは、教師にとって間違いなく新たな受難の始まりです。日々の「余白」の少なさに加え、子どもたちとの心の「空白」を埋めることにも苦心する日々が長期間にわたって続くことでしょう。しかし、そんな中でも教育の火を絶やしてはいけません。

文豪ヘミングウェイは、"Every day is a new day."(毎日を新しい日だと思って生きよう)という言葉を遺しました。「今まで不安をもたずに生活できたこと自体が、実はすごいことだった」と考えるようにするのです。不安を排除しようとするよりも、不安や怖さを受けとめながら生きていくこと。「不安常在」という考え方こそが、今を乗り越える唯一の道です。

【引用・参考文献】

・帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ―答えの出ない事態に耐える力―』朝日新聞出版、2017年、3-10頁。

・国立成育医療研究センターホームページ『新型コロナウィルスに負けないために 親子でできるストレス・コーピング編』(2020年4月15日閲覧確認)

川上康則(かわかみ・やすのり)

東京都杉並区立済美養護学校主任教諭。公認心理師、臨床発達心理士、特別支援教育士スーパーバイザー。

*本稿は、『ポスト・コロナショックの学校で教師が考えておきたいこと』東洋館出版社、2020年、86-91頁に所収しています。

掲載をご快諾いただきました執筆者の皆さまに、この場を借りて御礼を申し上げます。

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