特集 ちえをもちよる vol.4 コロナショックによる傷つきを抱えた子どもたちへの関わり ー病気を抱えた子どもたちとの関わりの視点からー

執筆者: 副島賢和

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特集「ちえをもちよる」では、小社でこれまでに「緊急事態下での教育現場」をテーマに製作した書籍の論考をピックアップし、順次無料公開をしてまいります。第4回は、『ポスト・コロナショックの学校で教師が考えておきたいこと』(2020年刊行)所収の論考です。
本稿でテーマになっている感染症のほか、災害等、不測の事態が起きたとき、当事者は誰もが、傷つき、不安になり、頑張り、我慢をしています。それらの心理面への影響は、子どもたちの実際の姿としてはどのように現れてくるのでしょう。また、緊急的な対応が求められるような状況においては、子どもと接する教員自身の心理面のケアも大切です。
昭和大学病院で院内学級を担当し、ホスピタルクラウンとしても活動を続ける「あかはなそえじ」こと副島賢和さんが知恵を持ち寄ります。

新型コロナウイルス感染症による休校要請等の状況からの子どもたちに対するネガティヴな影響は、学習の空白・学習時間の確保・運動やあそびの制限・集団活動の不足・経験の不足や偏り・人との関わりの制限などが考えられるでしょう。今回、特に難しいところは、人と関わることが悪い方向にいきかねないというところ、人との関わりの制限にあります。友達と関わる、人と関わることを大切に考えてきた学校教育においては、悩んでしまうところかもしれません。しかし、これらに対して病弱教育では、みんなで試行錯誤をしながら行ってきたところです。
本稿では、病気の子どもたちとの関わりの視点から考えたことをお伝えします。

2020年5月現在、感染症の影響で、病院にある学校・学級、いわゆる院内学級(以下、「院内学級」)は、設置されている病院や特別支援学校、小・中学校の状況により、関わりが決められています。

  • ・病院が教員も病院内の一員としてみなし、感染面の配慮をして、子どもたちに直接会う。
  • ・感染面により、病院内に入ることができずに、ICT等を活用した遠隔の授業等の関わりをしている。
  • ・感染面により、病院内に入ることができずに、定期的にプリントやお手紙を届ける関わ りをしている。
  • ・設置校の方針に従い、学級を閉めている。

などの関わりがあるようです。

長期に入院をしている子どもの保護者からは、学校からの連絡が少なく、学習面も心理面も不安が大きくなっているという声も届いています。

ある特別支援学校の訪問部の先生方とのお話で「病棟に入れなくなりました。病棟のスタッフに、学習についてお願いをしてもよいものなのか悩んでいます」というご相談がありました。病棟のスタッフたちは、感染面の配慮の仕事も増え、学校から「この学習を子どもたちに」と言われても対応は難しいでしょう。
その先生方と一緒に考えたことは、「窓越し訪問授業」でした。たまたま、その病棟が一階であったということもあり、窓の外から、携帯できるホワイトボードに文字や絵を描いたり、体の動きを大きく使ったりして、子どもたちと関わるようにしました。「今は、『今日も顔を見られた』ぐらいしかできないのですが、工夫すれば授業もできそうです。今まで病棟との関係をよくする努力をしてきてよかった」と、伝えてくれました。
ある学級では、病院内のケーブルテレビの番組の枠をもらい、授業を行っているとお聞きしました。「子どもたちのために何かできないか、工夫すること自体が楽しい」という声もあります。さすがです。全国で行っている関わり方の情報交換をし、目の前の子どもへの関わりを工夫できるとよいなと思います。

今回の「見えないものが怖い」「外に出られない」というような状況は、東日本大震災のときと近いものがあるように思います。当時、福島県や宮城県の先生方は子どもたちとどのように関わっていらっしゃったのでしょうか? そこに一つのモデルがあるでしょう。
震災のすぐ後は、大人も大変でした。そのようなとき、子どもたちは、大人に迷惑がかからないように、がんばったり、我慢したりして過ごしている姿が見られます。ある程度の期間がたち、大人が落ち着いてくると「待っていました」とばかりに、子どもたちの表現が始まります。その表現は、大人が受け入れやすいものから受け入れ難いものまで様々です。
その中で、いじめや不登校などの不適応行動が数年経って増えた地域があったということがわかっています。私たちは、見通しをもって、情報を得ながら、取り組んでいくことが大切です。また、阪神大震災の頃から行われている災害時の子どもの心のケアについても、忘れてはいけないことです。
入院中の子どもたちの中には、朝の健康観察のときに「イライラする」「眠れない」「不安がいっぱい」と訴えてくる子がいます。言葉にできる子もいますが、態度や行動で表す子もいます。それは、我慢やがんばりが限界であるとの訴えかもしれません。

院内学級に通う子どもたちの中には、多くの喪失から、深い傷つきを抱えた子もいます。子どもたちは、自分が世界の中心にいると思っているふしがあります。それは、自己中心的でわがままな一面もありますが、世の中の全ての事象に自分がなんらかの関わりをもっていると考えてしまうことがあるということでもあります。そのため子どもたちにとっての喪失は、死別に限りません。大事なおもちゃが壊れたり、大切なペットがいなくなったり、大好きな友達が転校したり、家族の誰かが入院をしてしまったり……。大人にとって、思いもよらないことで深い傷つきをもつ子どもがいるということを考えておく必要があるでしょう。
深い傷つきをもった子どもたちの成長や回復を考えたときに大切なことは、「子どもにもどす」こと。入院中の子どもたちは、「患者」であることを求められます。「受験生」であることを求められたり、「従順な受身の存在」であることを求められたり、年齢以上に「大人」であることを求められたり……子どもではいられない状態になっている姿を見ることがあります。
子どもは本来、今を生きている存在です。水たまりがあったら入りたいし、アリンコが列を作っていたらしゃがみこんでじっと見ていたいのです。自分が今やりたいことに没頭できたときに、エネルギーがたまります。でも、そんなときに、「お洋服が汚れちゃう」「風邪ひいちゃうかも」「道の真ん中は危ないから」それをしないでいる子が高い評価を受けます。くり返しブレーキをかけていたら子どものエネルギーは枯渇していきます。その子たちのエネルギーをためるには、今をしっかり味わう瞬間をつくることだと考えています。
子どもが「おいしいな」という顔をしていたら、「おいしいねえ」と伝えてあげてください。空を見上げて、「きれいだな」という顔をしていたら、「今日の夕日はきれいだねえ」と。匂いを嗅いで「臭い」という表情をしていたら、「本当、これ臭いね」と。体の感覚も同様です。「痛い!」という表情を浮かべたら、まず「注射は痛いよね」と伝えてあげてください。今、その子が感じている感情や感覚を一緒に味わってください。安全と安心の中で、感情や感覚を受け入れてもらえた子どもたちはエネルギーがたまり、苦手なことや難しいことに取り組むことができるようになります。「心の声を聴くということは、その子の感情を表情や行動から読み取り、言葉にすることを手伝うこと」です。そんな関わりを心がけています。

傷つきのある子どもへの大切な教師の四つの関わりを、東京学芸大学の小林正幸教授から教えていただきました。この研究は、不登校状態にある子どもたちが回復をした関わりをした教師が、どんなことに気をつけていたのかという要素を明らかにしたものです。これは、不登校状態の子どもたちだけでなく、傷つきのある子どもたちに関わる際に大切なことだと考えます。

子どもと関わりを始めるときには、その子の好きなものから入ることが多いです。その子の周囲にはお気に入りがあります。自己紹介をしてもらったり、会話の中からも「この子の好きなものはなんだろう」と探したりします。病院のベッドにはその子の好きなものがあります。例えば野球が好きでもバットやボールが置いてあることはありません。でも、読んでいる漫画のテーマが野球だったり、着ているシャツに野球チームのマークが付いていたり……。野球のことに詳しくなくてもかまいません。「あなたが好きなものに私も興味があります。教えてください」と接することで、「あなたに興味・関心があります」ということは伝わるでしょう。

子どもたちに「ここには自分の居場所がある」と思ってもらえるように、安全と安心を保障することは、とても大切なことです。院内学級に来てくれた子どもたちが初日によく行うことがあります。それは、先に教室にいる人間を少し傷つけること。殴ったり蹴ったりするわけではありません。「俺、その勉強もう学校でやった」「その折り紙、簡単」と、ちょこっと誰かを傷つけることで、新しい集団の中に自分のポジションを確保しに行こうとするのです。そんなときに伝えるのは、「比べない」ということです。比べられないということがわかると、子どもたちは優しくなります。失敗もできるようになります。学習は、自分のできないことやわからないことを晒したり、失敗を重ねたりすることが必須です。安心のないところで本当の学びは難しいのです。比べられない、安心な場での経験が子どもたちの中に残っていくとよいなと思います。

安心を感じながら過ごすことができるようになると、子どもたちの選択や挑戦が始まります。失敗をたくさんしているうちに成功体験が積み重なっていきます。子どもたちのドヤ顔が増えていきます。そんな思いをもてる遊びをしたり、病棟で発表会をしたり、教室の中で役割をもってもらったりしながら、活躍の場をつくっていきます。ただ、子どもが上手くいかないときもあります。実はそのときに、どのような関わりをするかが勝負です。「失敗は、成功の素」「失敗をしたあなたのことをダメとは思わない」ということがその子に伝わる関わりを見つけていくようにしています。

子どもたちの行動には必ず理由があります。どこまで意識しているかはわかりませんが、それでもその子なりの理由を見つけたいと思います。ただ、私たちに見えるのは、行動や言葉など表現をされたものです。その背後には、感情や思考があります。だからこそその子の、体、心、頭の声を聴きたいと思います。

不適応な行動をしてしまう子どもに対して、大人はつい行動に着目してしまいます。危険な行動があるとなおさらです。当然のことですが、そのために感情面への関わりがなおざりになってしまいがちです。子どもが悲しそうな顔をしていたら「悲しそうだね」と表情をとらえながら不快な感情を言葉にすることで、「悲しい」という感情が減少していきます。言葉にすることで、その事柄を考えやすくもなりますし、子どもは「わかってもらえた」と思うこともできるでしょう。

今回の出来事は、全ての人が当事者です。当事者は誰もが、傷つき、不安になり、がんばり、我慢しています。不快な感情をたくさん受け取り、自分自身の中にも不快な感情があることを感じているかもしれません。「これ以上そんな感情を渡さないでほしい」「自分の中のそんな感情には蓋をしたい」というときもあるでしょう。そんな自分を責めたくなるかもしれません。
しかし、感情のうしろには『願い』があります。快、不快のどちらの感情も、相手に自分の願いを届けるための大事な役割をもっているのです。例えば、「怒り」は、「変われ」という願いがあるときに出てくる感情です。「お前、変われ」「この状況よ、変われ」というときに出てきます。「理想に近づくことができない」「こんな自分は本当は嫌なんだ」という自分に対して「変われ!」という願いがあるときにも、怒りとして相手にぶつけてしまうことがあります。「悲しみ」は、「助けて」「自分の不遇をわかってほしい」とき。「嬉しい」も「一緒に喜んで!」ほしいとき。「怖い」「不安」「心配」は、「早く取り除いてほしい!」という願いがあるときに、出てくる感情です。感情をぶつけられたとき、自分の中に感情が湧いてきたとき、「何を願っているのだろう」と考えると、次にやることが見えてくるかもしれません。
今、皆さんは「助けて」と言えているでしょうか?「助けて」と伝えるのは、そう簡単なことではないでしょう。なぜなら、スキルをもっていない人がいます。「助けて」と言うと悲しい気持ちになる人もいます。「助けて」なんて言う自分はダメな存在だと考えてしまう人もいます。そのような人は、周囲に援助を求めること(援助希求)は難しいかもしれませんが、難しい局面であればあるほど、多くの人の力を集めて対応することが必要でしょう。そのためには、「困っています」「助けてほしい」ということを伝え合えるといいなと思います。大人が助け合っているその姿を、子どもに見せていいのだと思うのです。周囲の助けを借りながら、ご自身を大切にしていただきたいと思います。
そして、この状況が落ち着いた後も、会いに行く、学習を渡す、オンラインを使うというような、今、取り組まれている先生方の関わりが、病気や不登校等で学校を休んでいる子どもたちへのスタンダードな、当たり前の関わりになることを願っております。

【参考文献】
副島賢和『この状況だから考える〜院内学級の子どもたちが教えてくれた大切なこと〜』金子書房HP Note #つながれない世界でこころのつながりを、二〇二〇年。
副島賢和『あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ―ぼくが院内学級の教師として学んだこと―』学研プラス、二〇一五年。

副島賢和(そえじま・まさかず)
昭和大学大学院保健医療学研究科准教授。学校心理士スーパーバイザー、昭和大学附属病院内学級担当。ホスピタル・クラウン。NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』出演。主著に『あかはなそえじ先生の ひとりじゃないよ』(学研プラス)など。

*本稿は、『ポスト・コロナショックの学校で教師が考えておきたいこと』東洋館出版社、2020年、74-79頁に所収しています。掲載をご快諾いただきました執筆者の皆さまに、この場を借りて御礼を申し上げます。

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